杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

2019-08-01から1ヶ月間の記事一覧

「東京 橋と土木展」に行ってきた。

先日、新宿に行く用事があったので、西口広場イベントコーナーで東京都建設局主催「東京 橋と土木展」を見てきた。8月28日から31日までというごく短い期間の開催だったので、情報を入手してからすぐに行った。 「東京の橋パネル展」という展覧会が以前にあっ…

『木の一族』と福田和也

福田和也『作家の値うち』(飛鳥新社、2000年)を、佐伯一麦の作品が取り上げられているので拾い読みした。 これは現代作家の作品を百点満点で評価する本だが、佐伯の作品は『ア・ルース・ボーイ』が87点、『木の一族』91点、『遠き山に日は落ちて』69点、『…

ふさぎ虫

島田雅彦『君が異端だった頃』(集英社、2019年)は島田の自伝小説である。私は佐伯一麦への興味から、佐伯の友人の島田の自伝小説とあれば必ずや佐伯のことが出てくると思い、買って読んでいる。 帯には「最後の文士・島田雅彦による自伝的青春私小説!」と…

正面突破

社会人になってもワナビを続けている人にとって辛いのは、社会人としての一定の義務を果たしながら目標を追い掛けること、ではないか。 これは、下手をすれば永遠に続く挑戦の道で、時間が経てば経つほど、自分より若い人が自分より早く「なりたい者」になる…

強さと弱さ

以前、このブログで「心の弱さについて」という記事を書いたが、同じことはチャンドラーが小説を通して言っていたのだ。そのことは、東日本大震災の後に原発問題について考えた時、小出裕章さんが話す動画を通して知った。 調べてみたら、どうやらチャンドラ…

持ち時間

今年の盆休みはかなり暑かったが、家でごろごろしたりせず積極的に外出した。旅行もしたし、地元の施設や買い物にもよく行った。 一方、ライフワークである調べ物と書き物はそこそこ進行したが、休暇は休暇で上のような予定を入れてしまっているので、進捗の…

叙述とあらすじ

小説を読んでいて、どうも内容が私の中に入ってこないというか、すらすらと読めはするのだが、どこかつるつるの床の上を滑っているだけのような空疎な感じを受けることがある。 自分はまさにストーリーが進んでいる箇所を読んでいるはずなのに、どうも物語の…

佐伯一麦と徳田秋声2

佐伯一麦は八木書店の『徳田秋聲全集 第25巻』(2001年)の月報に、随筆「暮れに読む『新所帯』」を寄せている。ちなみにこれは「あらじょたい」と読み、正しい漢字は「新世帯」であるはずだ。 「暮れに読む『新所帯』」には、佐伯が秋声文学に親しむように…

情報かモノか

大江健三郎『新しい文学のために』(岩波新書、1988年)に面白い箇所があった。 ヨーロッパから輸入した古家具が、倉庫に十個おいてある。倉庫に品物がちゃんと届いているかどうか、輸入商社の人間が確かめに来る。かれは伝票の数値にしたがって——つまり代数…

盆に読んだ「新世帯」

八木書店『徳田秋聲全集 第25巻』(2001年)の月報には佐伯一麦の「暮れに読む『新所帯』」が載っている。これは、佐伯がいかにして秋声の文学に出会い、慣れ親しむようになったかの経緯を述べつつ、秋声作品を批評してもいる随筆である。佐伯はこれに先立つ…

板橋区徳丸と『みのりの道』

板橋区の徳丸という町の中に、徳丸ヶ丘公園という公園がある。そこには「みのりの道」という大きなモニュメントが設置されている。 収穫した稲を積んだ大八車を父親が引き、それを後ろから母親と二人の子供が支えて押しているモニュメントで、とても迫力があ…

南極観測船ふじ

名古屋港ガーデンふ頭にある「南極観測船ふじ」が面白い! 「南極観測船ふじ」は、1965年から18年間、南極観測に利用する砕氷船として活躍した船。現在は名古屋港ガーデンふ頭に永久係留されていて、当時のままの姿で博物館として見学することができます。南…

レファレンスサービス

これまで何度か、図書館のレファレンスサービスを利用したことがある。その経験から言うと、レファレンスは調査・研究に従事する者にとって強い味方であることは間違いない。 その理由の一つは、レファレンスサービスを提供する側が、図書館をはじめとした資…

板橋区立熱帯環境植物館でタイガーオーキッドが開花

板橋区立熱帯環境植物館(通称:グリーンドームねったいかん)は、東南アジアの熱帯雨林の環境を再現しています。基本的には植物館ですが、地下にはミニ水族館も備えられている楽しい施設です。 隣にある高島平温水プールと同じく、近くにある板橋清掃工場の…

心理的自叙伝3 地球のかす

会社勤めをして得したな、と思うのは、自分の「個性」がいかに人から必要とされていないか、もっと言うと、いかに自分が地球のかすに過ぎないかを実感する場面が多いことだ。 例えば取引先は、私が成果物を提出すると喜んでくれる。しかし、私がどれだけ仕事…

夢を小馬鹿にする人

あなたの夢を小馬鹿にするような人からは離れていなさい。器の小さい人は、いつも人を小馬鹿にするのです。しかし、真に偉大な人は、あなたも偉大になる可能性があることを教えてくれます。 スーザン・ショフネシー『小説家・ライターになれる人、なれない人…

「蚊の鳴くような声」

佐伯一麦の『芥川賞を取らなかった名作たち』(朝日新書、2009年)は、文字通り芥川賞を取らなかった小説の魅力を語った本である。なお佐伯自身は「端午」と「ショート・サーキット」で二度、芥川賞の候補になっているが、いずれも受賞を逃した。 その第9章…

能書きなんてどうでもいいから早く書け。

スーザン・ショフネシー『小説家・ライターになれる人、なれない人』(同文書院、1998年)は、ときどき読み返すのがちょうど良い本だと思う。これはライター(書き手)が文章を「今日書く」ために必要な心構えのコツや習慣について、古今東西の人物の言葉を…

創作雑記5

手綱捌き、という言葉で表現すれば良いだろうか。小説中の人物の心の動きや、場面の空気の流れというものに、作者自身が動かされてしまっては駄目で、逆に人物の心や場面の空気を上手く操らなくてはならない。これはまぁ、当然のことだろう。たしか三田誠広…

松本清張『風紋』

松本清張『風紋』(光文社文庫、2018年)は、食品会社の看板商品に不穏な噂が立つ企業サスペンス。「現代」に1967年1月から1968年6月まで「流れの結像」というタイトルで連載されたというので、清張58歳の頃の作品になる。 語り手は小説家本人で、食品会社の…

『君が異端だった頃』と佐伯一麦

島田雅彦の『君が異端だった頃』(集英社、2019年)は、帯に「最後の文士・島田雅彦による自伝的青春私小説!」と書いてあり、これは読まねばと思ってさっそく買った。 これは全四部からなる、それぞれが「すばる」2018年6月号、9月号、12月号、2019年3月号…

肉体と装い

夏目漱石は「中味と形式」(『漱石文明論集』(岩波文庫、1986年)所収)で、形式は内容のためにあるのであって、形式のために内容ができるのではない、内容が変われば外形も自然と変わると言っている。また加藤英俊の『取材力』(中公新書、1975年)の「材…

佐伯一麦と東大寺

佐伯一麦『月を見あげて 第三集』(河北新報出版センター、2015年)の「大和路を歩く」に、興味深い記述がある。バスで東大寺に行った時のくだりなのだが、 大仏殿の大屋根を飾る金色の鴟尾を眺めながら、大仏殿の昭和の大修理が行われていた頃、二十歳前後…

最初の記憶

佐伯一麦『月を見あげて 第三集』(河北新報出版センター、2015年)の「箒三兄弟」には、佐伯の最初の記憶について書いてある箇所がある。 私は、子供の頃から箒が好きで、何しろ一番はじめの記憶が、庭箒を持って庭を掃いているというものである。ようやく…

快楽主義の巨人

澁澤龍彦の『快楽主義の哲学』(文春文庫、1996年)は大学生の時に知人に教えられて読んだ。澁澤にしてはくだけた語り口のエッセイで、当時は面白く読んだ記憶がある。しかし澁澤は本書を自分の著作集に加えることを嫌がったという話があったそうだ。 私は最…

佐伯一麦と「名古屋の喫茶店」

佐伯一麦は2013年の秋から冬にかけて名古屋に滞在し、知人に会っている(「名古屋の喫茶店」(『月を見あげて 第三集』(河北新報出版センター、2015年))所収)。 「名古屋の喫茶店」には、佐伯は週刊誌の記者をしていた時期、出張するビジネスマン向けに…

川端康成と石塚友二「松風」

ある人物の詳細年譜を作成しようと思い、勉強のために小谷野敦・深澤晴美編『川端康成詳細年譜』(勉誠出版、2016年)を読んだ。 文字通り川端康成の詳細な年譜なのだが、川端自身だけでなく、鎌倉時代の北条泰時九男の駿河五郎道時三男である川端舎人助道政…

「言い出しっぺの法則」

そんな法則があるとは知らなかったが、身近なところに、言い出しっぺなのに実行は他人に任せてしまう人がいたのでイラついて、そういう人って他にもいるのかと思ってググったらwikiで出てきた。 法学者が定義した法則のようだが、言い出した人間が実行するの…

書くことがないならまず行動

長いワナビ歴の中でことさら苦しんだことの一つに、「書くべきことがない」がある。 それは映画学校に通っていた時期にもあった。制作実習に先立つシナリオコンペに出すためシナリオが書くのだが、書けないのだ。ゼミ講師は、とにかく書け、書くんだ、と声を…

「プレイロッド」

原武史『レッドアローとスターハウス』(新潮文庫、2015年)に、板橋区に住んでいる私には興味深い記述がある。 団地は高層化し、コンクリートの壁はますます高くなり、住民の関心は「公」よりも「私」に向かう。同年五月に発刊された団地住民向けのタウン紙…