杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

困った客

難しい注文

先日もこのブログに書いた渡瀬謙『負けない雑談力』(廣済堂新書、2016年)ですが、読んでいて面白かった箇所がありました。

第1章「雑談ってコツさえわかれば簡単なんです」の、雑談の目的がわかれば話しやすくなる、と書かれているくだり。

 何でもいいからしゃべれと言われても困りますが、この方向で話せと言われれば、私のような口下手なタイプでも話しやすくなるはずです。雑談のコンセプトのようなものです。
 私は以前、デザイン制作の仕事をしていましたが、そのときも「とりあえず何か作って」と言われるのが一番困りました。やはり、「落ち着いた感じで」とか「躍動感を出したい」などのコンセプトがないとできないものなのです。

渡瀬は広告や雑誌制作などでクリエイティブな仕事をしていたらしいので、「とりあえず何か」と言ってきたのは恐らくクライアントか、クライアントから注文を受けてきた営業でしょう。

ことさらに丁寧に対応しなくていい

私はライターをしていますが、そういう頼まれ方をされると困る、というのは深く共感します。クリエイターは、あくまで「何か」を作りたいと思っているクライアントの「作る」を代行する人なので、その「何か」について思いや素材を共有できなければ、作るのは難しい。また、そういう頼み方をする人に限って、作ったものに対し「いや、こういうものが欲しいんじゃないだよなぁ」などと言ってきます。クリエイターなら言わずとも自分の気持ちを理解しているとでも思っているのでしょう。

私の経験では、そういうクライアントは、こちらがノーヒント状態でも想像を働かせ、いろいろと手を尽くして対応しても、結局あれこれ不満や追加注文を出してくることが多い。要するにクリエイターに指示することが下手で、敬意さえも持っていないのでしょう。だからノーヒントで不満ばかり言うので、こちらは時間と労力を奪われるだけになることが多いのです。そういう人にはことさら丁寧に対応しなくていい、と思っています。

ポオ「メエルシュトレエムに吞まれて」

大渦潮からの逃亡譚

エドガー・アラン・ポオ「メエルシュトレエムに吞まれて」(『ポオ小説全集3』(創元推理文庫、1974年)所収、小川和夫訳)を読みました。

ノルウェーのロフォーデン地方にあるヘルゼッゲンという山の頂上で地元の老漁師が語り手に語る、大渦潮からの逃亡譚。メエルシュトレエムはその大渦潮のことですが、地元では最寄りの島の名前をとってモスケエ・シュトレエムとも呼ばれています。

Wikipediaの「メイルストロム」を参照すると、ロフォーデン諸島のモスケン島周辺海域に大渦潮が存在し、“Moskenstraumen(モスケンスラウメン)”と呼ばれるのだとか。

小説といえばそうともいえますが、人間関係が中心的に描かれているわけではなく、手記で伝えるべき珍体験を会話体にして、小説にしたという感じです。

海の冒険の描写は長篇「ナンタケット島出身のアーサー・ゴードン・ピムの物語」ほどではありませんが、やはりかなりの筆力で、読ませます。

ロマサガの必殺技

Wikipediaの「メイルストロム」では、本作の記述が事実であると誤解され、百科事典に流用されたそうな。また同じくWikipediaの本作の項を見ると、その文章はブリタニカ百科事典の以前の版から剽窃したものだった、とのこと(本作の本文には「大英百科事典(エンサイクロペーディア・ブリタニカ)」からの引用だと断ってある記述があります)。

『ポオ小説全集3』冒頭の口絵は、ハリー・クラークによる本作の挿絵です。クラークはアイルランドのステンドグラス作家で、アンデルセン童話集やペロー童話集、『ファウスト』などの挿絵も手掛けました。

ちなみに私は、「メイルシュトローム」というと「ロマンシング サ・ガ」のスービエやフォルネウスの必殺技として印象に残っています。それらは渦潮というか津波のようなものですが、たしか学生時代にポオの本作のタイトルを見た時、ああこれロマサガの技じゃないか、と思ったものでした。

雑談雑感

雑談指南書

渡瀬謙『負けない雑談力』(廣済堂新書、2016年)を読みました。

雑談が苦手な人に向けた「雑談力」向上を指南する本です。「人見知り・口下手も関係ない」というサブタイトルがついていますが、著者の渡瀬自身がそういう人だというのは、「はじめに」を読むとわかります。また内向型人間は雑談さえも怖くなってしまう、といったことが裏表紙の紹介文に書いてありますので、HSP=繊細さん向けの本とも言えそうです。

中身は、観察や質問、リアクションの取り方などのコツの紹介です。こんど雑談する時には使ってみたいと思いました。

上手じゃなくてもいいが、避けるのはよくない

藝人のように上手く話そうとするのは無理だから諦めていいし、そもそも上手くならなくていい、といったことを渡瀬は述べています。

私自身のことを思い返すと、上手く話せたらいいなと思い、雑談の機会があるとそれを実践しようとするものの、上手くいかず、自己嫌悪に陥って雑談が嫌いになる、といった経験が何度もありました。次第に投げやりな気持ちになり、もう雑談なんぞしなくていい、と逆方向へ気持ちを振り切ってしまい、他人に対し愛想がなくなっていったように思います。

とはいえ、そういう理由で愛想がなくなるのはよろしくなく、やっぱり上手くなりたいなぁ、と思うものの、それはそれでやっぱり難しいので、上手く話せないからといって自分を責めず、かといって他人と関わるのを嫌いになるのはやめよう…むしろなるべく前向きに関わり、少しずつでもいいから雑談できるようになっていこうじゃないか、と思うようになりました。

無理に上手くなろうとしなくてもいいですが、避けて通ろうとするのはよくないですね。

金芝河

『人生の親戚』を読んで

5月8日、韓国の詩人・金芝河(キム・ジハ)が死にました。81歳。

報道では金は韓国民主化の象徴だとありましたが、私は詳しいことは知らず、恥ずかしい限りです。ただ、大江健三郎が1975年に他の文化人などと共に数寄屋橋公園でハンガー・ストライキを行った理由が、たしか金が死刑判決を下されたことへの抗議だったと記憶しています。

大江のこのハンガー・ストライキ体験は長篇『人生の親戚』(新潮文庫、1994年)に活かされ、冒頭にそのシーンが出てきます。私はその箇所を読んだ時に大江のハンガー・ストライキについて知りたいと思い、当時の新聞を読んだものでした。

私は当時まだ生まれておらず、韓国の民主化云々はぜんぜん知らなかったし、金のことも大江のハンガー・ストライキのこともまったく知りませんでした。それが、少しではありますが知るきっかけになったのが『人生の親戚』です。今も詳しくはないのですけれど…。とまれ小説は、過去の出来事に関心を持つきっかけになることがあります。

「いったん、しおりを挟みます。」

檀一雄の本を買った店

5月8日、三省堂書店神保町本店が一時閉店になりました。141年にわたって営業を続けてきたものの、ビルが老朽化したため建て替えることとなりました。2025年の新店舗オープンを目指し、しばらくは仮店舗で営業するとのことです。

当日、Twitter三省堂書店の公式アカウントや神保町本店のアカウントには何度も関連ツイートが投稿されました。冒頭に掲げた画像は、その一つです。

三省堂の神保町本店には、学生時代から十年以上にわたり行き続けました。思い出、というより買った本は数知れず、一時的なとはいえ、閉店してしまうのはやはり少し残念ですね。

もっともよく行ったのは恐らく4階の古書センターですね。古書の品揃えが気に入っていて、面白いのを見つけては買い求めた記憶があります。

新潮文庫檀一雄『リツ子 その愛・その死』を買ったのはたしかあの店で、買った時に店員が、「今日は同じ作品の旺文社文庫版も売れたんですよ」などと嬉しそうに話していました。

新店舗には古書センターは設置されるのでしょうか…。

ポオ「モルグ街の殺人」

世界初の推理小説

エドガー・アラン・ポオの「モルグ街の殺人」(『ポオ小説全集3』(創元推理文庫、1974年)所収、丸谷才一訳)を読みました。ちなみに私が持っている文庫は2001年の第38版です。重版の多い本は他にもたくさんあるでしょうけれど、27年で38版ということは年1回以上重版していることになり、本書が多くの読者に支持されている証左といえるでしょう。恐らく私は本作を過去に数度、読んだと思いますが、内容はほとんど忘れていました。

世界で最初の推理小説といわれる本作。文庫本で50ページ足らずの短篇ですが、ポオらしく優れた描写力が発揮されているもののストーリーテリングに余計なところがないので、結果として短くなっている印象です。

新ジャンル創設は意図していなかった?

ポオはきっと、本作を「推理小説を作ろう」と思って書いたのではないでしょう。ジュリアン・シモンズによるポオ伝『告げ口心臓』(東京創元社、1981年)には、「新しい文学のジャンルをつくることはポオの意図にはなく、…」とあります。

また同書には「『モルグ街の殺人』は世界最初の密室犯罪ものだが、同時にこれは恐怖小説でもある」とあり、ポオは怪奇や恐怖を読者に提供しようとしてサスペンス的要素で引っ張っていくお話を作った結果、こういう小説ができあがったのじゃないかな、と思いました。

とまれ、デュパンの人物造形といい、複数の証言などを素材として推理していく過程は面白かったです。

「デュブール」という女

『告げ口心臓』には、「(ポオが)最初に通った学校の女経営者のデュブールという名は『モルグ街の殺人』に出てくる」とあります。

確かめてみると、モルグ街の殺人事件の詳細を伝える新聞記事に、事件に関する証言が列挙される箇所があり、その最初に「洗濯女、ポーリーヌ・デュブール」とあります。これですね。

人生の目的

HSPに効く本

本多信一『人生が変わる お金と会社にしばられない生き方』(PHP、2013年)は、職業相談をライフワークとする現代職業研究所の著者が「お金にこだわらず、自由に生きる」ヒントを教えてくれる本です。

読者対象は特に限定していないようですが、私が思うに、本多さんの言葉に反応するのは主に内向型人間ではないかと思います。奥付の著者プロフィールを見ると、現代職業研究所は内気で悩む人のために作られたものなので、本書の中心的読者もたぶんそうでしょう。ちなみに内向型人間は、今でいう繊細さん=HSPだと私は思っています。

私が最初に読んだ本多さんの本はたしか『内向型人間の仕事にはコツがある』(大和出版、1997年)で、どういう経緯で手に取ったかは忘れてしまいましたが、それ以来、本多さんの本はよく読んでいます。

内向型は“目的必要派”

さて、その第一章「自分らしく生きよう!」には、「内向型の人にはそれぞれの『人生目的』が必要だ」という節があります。その中に、こんなくだりがあります。

「人生目的は必要か?」については、人によってさまざまな見方があります。概して外向型の人々の中には「時流に乗って生きたらそれでいいんだ」と考えていて、“目的否定派”の人たちが少なくないものです。一方、内向型は“目的必要派”が多いように見えます。
 そう、私をはじめとする内向型気質の人たちは、「目的をもつことで生に対する意欲が高まる」わけですね。

そうは言うものの、本多さんはその前段の方で、「万人に人生目的は存在する」と考えていると書いています。

目的などないからこそ

まず前提として、その人の人生に決まった目的がないことは、事実として動かしがたいことだと思います。しかし、人間は動物の一種で、本能を持っていますので、その本能の命ずるところが、短期的にしろ長期的にしろ、目的になると言えるかもしれない。食欲、性欲、睡眠欲など…。

私が人生に目的がないのは事実だというのは、宗教的な務めとか戒めのような、自分以外の者から与えられた、苦痛を伴ってでもやり遂げなくてはならない仕事やルールなどあると思わなくていい、といった意味です。

だから逆に、人生を充実させるために自分で作った目的なら、大いにありじゃないか、と思います。

また、本書で本多さんが内向型の人こそ目的が必要だというのは、恐らく、内向型人間は感性が鋭く繊弱であるため他人や社会からの影響を受けやすく、それによって生活、ひいては人生までも自分が望まない方向へ行きがちになるからこそ、目的を言葉にして明確化して生きることで、迷いなく充実した人生を送れる、ということでしょう。