杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

板橋区の最古刹

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年末年始のある日、板橋区赤塚の大堂という寺に杖をひいた。板橋区教育委員会文化財シリーズ第76集“まち博”ガイドブック 下赤塚・成増・徳丸・高島平地区編』(1994年)によると、この寺は板橋区の最古刹であるらしく、創建は大同年間(806~808)といわれているそうだ。

堂前の鐘楼にかかる銅鐘の銘文には、建武・延元(1334~1336)の頃には七堂伽藍をそなえた大寺だったが、永禄4年(1561年)、上杉輝虎(謙信)が小田原の北条氏を攻めた時に伽藍を焼き払った、と書かれているようだ。

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この銘文は中岩円月が撰文した鐘銘として、古来より風流文人の垂涎の的だったらしい。江戸時代から杖をひく者が多かったそうだ。今は赤塚の住宅街の中にあってひっそりとしているが、昔は焼き討ちにあったり文人が訪ねてきたりと、色んな出来事があった場所なのだ。

アドラー心理学雑感

アドラー心理学はビジネスの世界では盛んに喧伝されている。私ももう、何度となくYouTubeで見ているビジネスマンなどがアドラーの言ったことを引用しているのを見た。

最も多いのは「課題の分離」で、自分の課題と他人の課題を切り分けて考えよう、キャリア形成は自分のことだけ考えよう、といった主張が行われている。

たしかにその通りだと私も考えている。他人の悩みに介入すると他人に振り回されざるを得ず、自分の人生を生きられなくなってしまう。それは当たり前のことだが、世の中には他人の悩みに介入してしまう人がけっこう多いし、逆に、自分の悩みに他人を巻き込んでしまう人も少なくないと思う。

一方で思うのは、他人の悩みを我が事として受け止め、無力であっても一緒になって真剣に悩む人がいることだ。あるいは、強い倫理観を持っていて、自分がよくないと思うこと(法的にいけないことではない)をしている人に対し、声を大にして、または身を挺して説得しようとする人がいることだ。

私はそういう人をしばしば「熱誠がある人だ」と思うのだが、「課題の分離」をきちんとやって皆が自立と自律ができる社会であれば、まったく無用の存在になるだろう。しかし、そんなことはまずあり得ないと思う。「課題の分離」は大切だが、熱誠もまた必要なんじゃないか。

「杖をひく」

年末年始の休みは、ゆっくり近所を散策することができた。そうして訪ねた古寺の敷地の中に、その古寺を説明する教育委員会の案内板があり、そこには、その古寺の鐘は文人の垂涎の的で、江戸時代から「杖をひく」人がたくさんいたと書かれていた。

「足を運ぶ」なら分かるが、「杖をひく」とは一体なんだろう?

と思って調べてみたら、散歩する、という意味らしい。または旅することを指すようだ。ネット辞書の用例には芭蕉奥の細道』の文が使われていた。なるほど文人墨客など教養ある人が歴史ある場所や建造物などを見に行く時は、芭蕉のように杖をひいて歩くことになるだろう。そんな風に考えると、この成句の成り立ちが推察されるような気がする。正しい語源は知らない。

織物を織る

こないだあるライターから、どんな意識で文章を書いているか、という質問を受けた。そのライターは私以外のライターにも同じことを聞いたらしく、書く対象に憑依する、とか、彫り物を彫る、などと回答されたと言っていた。

私は「織物を織るような感覚」と答えた。私はかねて、ストーリーを叙述する経糸と、テーマの深みを付与する描写という緯糸が文章を構成する大きな要素と考えているから。その経糸緯糸を上手く織り交ぜることで、読み応えのある面白い記事を織り上げられると思っている。そのことは小説はもちろんのこと、取材記事でも随筆でも、あらゆる文章にだいたい当てはまるのではないかと思う。

永井荷風と桜草

先日、都立浮間公園を訪れた際に「浮間ヶ原のサクラソウと桜草圃場」という案内板を見た。そこには、浮間ヶ原(浮間ヶ池の東側)をはじめとする荒川沿いの原野はサクラソウの群生地が広がっていて行楽地だったが、それは大正時代までのことで、荒川の流路が変更され、都市化が進むにつれてサクラソウは姿を消していった、などとあった。その後、地元の人たちが桜草保存会を結成し、公園内の圃場で栽培と公開を続けている、と。

その案内板には田山花袋『一日の行楽』と永井荷風葛飾土産』に桜草が描かれているとして、本文が少し引用されていた。花袋の方は原文に当たるのは難しそうだが、荷風のは中公文庫(2019年)で出ていて、比較的簡単に読むことができる。

葛飾土産』は中央公論社から1950年に出ているが、桜草に触れている「葛飾土産」の該当箇所を読むと「昭和廿二年十月」とある。

 わたくしが小学生のころには草花といえばまず桜草くらいに止って、殆ど其他のものを知らなかった。荒川堤の南岸浮間ヶ原には野生の桜草が多くあったのを聞きつたえて、草鞋ばきで採集に出かけた。この浮間ヶ原も今は工場の多い板橋区内の陋港となり、桜草のことを言う人もない。

案内板にもこの箇所が引用されているが、上記概要のような桜草の減少を荷風は目の当たりにしていた、と言えようか。

葛飾土産」は味わいのある随筆で、時代と共に社会の様相が移り変わるのを透徹した文学者の眼で見ているのが伝わってくる。

上記引用の数行後に、面白い箇所があった。

わたくしは西洋種の草花の流行に関して、それは自然主義文学の勃興、ついで婦人雑誌の流行、女優の輩出などと、略年代を同じくしていたように考えている。入谷の朝顔と団子坂の菊人形の衰微は硯友社文学とこれ亦運命を同じくしている。向島の百花園に紫苑や女郎花に交って西洋種の草花の植えられたのを、そのころに見て嘆く人の話を聞いたことがあった。

蛻変

最近、そんな言葉を知った。「ぜいへん」と読む。「蛻」とは蝉や蛇が脱皮することで、羽化して成虫になること。転じて、人間や企業が自己変革・経営変革を成し遂げる、といった意味も持つらしい。

この言葉は、ある経営者の話の中に出てきたのである。先日も、「啐啄同時」を別の経営者の話を通して知った。経営者は言葉をよく知ってるな、と思った。

私はべつに、人間は自己変革を遂げなくてはならないとは思っていない。だが、ネットでこの言葉について述べたブログがいくつかあったので見てみると、変革を遂げなくては生き残れない、などとあって、その点は納得した。

環境は否応無しに変化し続けているので、それに応じて自分を変えていかなくてはならないだろう。虫や動物の場合は、体が大きくなってきたら殻を破らないとダメなので、蛻変しなくてはならないのは当たり前。人間だって、成長が止まるまでは服を変えたり部屋を変えたりしなくてはならない。それは人間の生き物としての側面の話だが、大人になって、環境変化がない状態がずーっと続けば問題ないが、そんなことはまずない。自営業者だって会社だって、環境変化に応じ続けなくてはいずれ淘汰されるんだろうと思う。

板橋区立郷土資料館「マユダマ飾り」

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1月9日から板橋区立郷土資料館の古民家で「マユダマ飾り」の展示が始まった。マユダマ飾りとは、1月15日の小正月のお飾りのことで、稲をはじめとする農作物の豊作を願う予祝行事の一つ。養蚕と関わりがある地域では繭の豊産を願ってマユダマを作るらしい。

多くの場合、1月14日にケヤキやヤナギを切ってきて、餅や米粉で作った団子を枝につけて飾り、16日には外して粥などに入れて食べるとのこと。それが病気や悪気除けになるのだそう。板橋区内の農村部では「メエダマ」と呼ばれ、昭和初期頃まで行われていたという。

今回の展示ではケヤキの枝を使い、うるち米の団子を枝につけている。古民家のカマドにセイロを用意して団子を蒸したという。

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団子は紅白できれいで、風情のある飾りだなぁと思った。展示は1月17日まで。終わった後は資料館のスタッフたちで団子を食べるのかな。。

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