杉本純のブログ

本を読む。街を見る。調べて書く。

物書きへの視線

ときどきお邪魔しているブロガーの記事の中に、佐伯一麦の『散歩歳時記』(日本経済新聞社、2005年)について触れているものがあり、これは恥ずかしながら未読だったのでこのたび手に取った。少し前に古書店で買ったきり積ん読になっていたのだが、じっくり読んでみると面白い。きっかけを与えてくれたブロガーに感謝せねば。

本書は、山形新聞夕刊に「峠のたより」と題し1995年11月から月2回の頻度で連載した随筆を中心に集めて編まれたもの。山形新聞以外の新聞や文藝誌に寄稿した随筆も載っている。内容は書名が示す通り、散歩をする中で耳目に触れる風物を通して四季を感じた、その思いを綴ったものだ。巻末には季語索引が設けられており、これは日本経済新聞社出版局の苅山泰幸が作ったもののようだ。とすると、山形新聞ほか各誌から花鳥風月にまつわる随筆を探し、集めて編んだのも苅山かと思われるが、凝った仕事をしたものだと思う。

さて本書の「早春の記」は、「文學界」1993年5月号に寄せられたものだが、佐伯自身が仙台市内のアパートに引っ越して来た時のことを述べている。

三十歳を過ぎた佐伯が不動産屋でなるべく安い部屋を頼むと、相手は警戒の色を示す。職業を聞き、佐伯が家で書き物をしていると答えると、「そういう人はどうかなあ」と首をひねってしまう。大家に電話に確認するが、やはりちゃんと勤め先がある人でないと駄目と言われる。

引っ越しの季節でもあり物件はあふれているはずだが、あいにく適当な部屋は空いていませんねぇ、とこちらを送り出す不動産屋の目に、物書きの世界なんかに憧れて就職もせずにぶらぶらと安アパート暮しか、と憐れみの色を感じとったのは、私の僻みだっただろうか。だが、物書き稼業に対する世間の目は、本来それ位で正当なはずだとも私は思っているのである。

佐伯は1993年1月に仙台に転居したが、その時すでに「木を接ぐ」で「海燕」新人文学賞、『ショート・サーキット』で野間文芸新人賞、『ア・ルース・ボーイ』で三島賞を取っている。芥川賞は取っていないが、相応の実績があるのは間違いない。それでも、地方の不動産屋にこんなに冷たい扱いを受けるわけで、物書きの社会的地位の低さが窺えるというものだ。ちなみに佐伯はこの時期に自殺未遂をしており、人生においてかなり辛い期間だった。

母性と娼婦性

 牧子は四十を迎えたこのごろになって、ようやく、自分の蹉跌の多かった運命の根は、人並みより豊かな母性の機能を恵まれた軀の中に、おびただしすぎる娼婦性の情緒を棲まわせている矛盾を軸として、不器用にぎくしゃく廻ってきたのだと悟ったようだ。

瀬戸内寂聴の短篇「雉子(きぎす)」(『夏の終り』(新潮文庫、1966年)の一節なのだが、私は男ながら、この一文が我が事のように思えて驚いた。

この作品は瀬戸内の私小説だから、瀬戸内自身がこういう人間だったに違いないと思う。母性が豊かで娼婦性がおびただしいというのは、際限なく開けっ広げで、放埒で、あるいはちゃらんぽらんで、清濁併せ呑むし豪胆でもあるということではないだろうか。乱暴で冷たくもあり、無限に優しくもあるのだろう。細かいことを気にせず朗らかだが、時に無遠慮であり傍若無人にもなってしまう、というような…。私は、自分もまったくそうだとは思わないのだが、どことなく近いものはあると感じていて、これまで人間関係で大きな損をしたのはそういう性格だからではないかと感じている。

佐伯一麦の「小さな本棚」

佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)を読んだ。佐伯の伝記的事実を確認しながら丹念に読んでいったので、読み終えるまでに時間がかかった。

本書は、河北新報朝刊に2004年4月6日から2008年1月22日まで連載された随筆をまとめたものだ。佐伯の心の中にある「小さな本棚」から愛読した本を一冊ずつ取り出して、それにまつわる思い出などを綴っている。一人の作家につき一冊のみ、新刊書は取り上げない、などが方針だが、例外もある。全100回で完結しているものの、佐伯の読書の傾向と幅広さが見えてくるラインナップになっていると思った。

装幀は中島かほる、装画は柄澤齊。佐伯の随筆の世界を丁寧に作りあげた、センスのいい本である。随筆そのものも、文体に乾いた冷たさが感じられて、いい。とはいえ、100回続く間に味わいは微妙に変わっている。

佐伯の随筆を読むと、佐伯がかなり多方面の様々な人と会っており、活動的であることが分かる。私小説の主人公像とは明らかに違っていて、そういうところがまた面白い。

時間に飢える

佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「男と女は五分と五分」は、高山文彦による中上健次の評伝『エレクトラ』(文藝春秋、2007年)を取り上げている。佐伯は本書を、上京した折に編集者から紹介されてむさぼるように読んだようだ。中上は、佐伯に、小説の実作者として生きていく気持ちを抱かせた存在である。

 一週間ほどの上京の初日に、編集者から紹介されて読み始め、所用の合間を縫って、駅のホームや駅ビルのベンチで読み継ぎながら、時間に飢えていた昔はよく、こうやって本を読んだり小説を書いたりした、と思った。

とある。この、時間に飢える、という感覚は生意気ながらよく分かる。私は子供の頃に親から言われた「寸暇を惜しむ」という言葉を今も肝に銘じていて、特に学生の頃などは何かに追われるように本を読み、映画を観て、作品を書いていた。ただ今は、寸暇を惜しみつつも、気持ちを落ち着かせることや何もせずぼーっとする時間もかなり大切だと思うようになっている。

埴谷雄高の家

佐伯一麦は高校時代、吉祥寺にあった埴谷雄高の家に同人誌「青空と塋窟」を届けたらしい。今回、大倉舜二『作家のインデックス』(集英社、1998年)を読み、埴谷雄高吉祥寺南町の家が載っていたので、ここかも知れないと思った。もちろん、吉祥寺内で引っ越したりしている可能性はあるので、本書に載っている家に間違いないとは言えない。埴谷の自宅や引っ越し歴について詳しいことはぜんぜん知らない。なお、本書の埴谷宅は1991年11月に撮影されたもので、佐伯が訪ねたのは1970年代の後半、1976か1977年頃だろう。本書の埴谷宅は、外壁や柱などもけっこうな年月を経ていると思われるので、恐らく佐伯はここを訪ねたのだと思う。

『作家のインデックス』を見ると、埴谷は1991年11月時点で妻を亡くし、家には一人で住んでいたことが分かる。また、埴谷がこの時すでに高齢だったこともあってか、どことなく、全体に質素な印象を受ける。書棚にはドストエーフスキーなどロシア文学や、宇宙に関する本が多くあり、まさに埴谷の書棚といったところか。

面白かったのは、表札には「埴谷雄高」の隣に「般若豊」と併記してあることだ。しかし考えてみれば、筆名と本名を並べて表札に記した方がとうぜん間違いがない。佐伯一麦の家は隣に佐伯亨と併記してあるのだろうか。

佐伯一麦の書斎

大倉舜二『作家のインデックス』(集英社、1998年)は、大倉が作家と書斎や持ち物などを撮影した写真集で、「すばる」で1990年から1995年まで連載した巻頭企画を一冊にまとめたものである。瀬戸内寂聴中上健次三木卓宇野千代島田雅彦古井由吉など作家56人がその書斎とともに登場している。

その中に佐伯一麦がいる。撮影されたのは1994年10月で、書斎は広瀬川のほとりの四畳半のアパートである。当時35歳の佐伯は髭も髪の毛も黒い。この頃、佐伯はすでに長篇『渡良瀬』を「海燕」にて連載していたが、その資料として撮影したという写真が壁の棚に貼られている。二瓶浩明による佐伯年譜によると、1994年3月8日に「渡良瀬遊水池の野焼きを見に行く。」(正しくは「渡良瀬遊水地」)とあるのだが、写真の日付は3月20日になっている。

佐伯は同年2月より神田美穂と同居し、後に結婚するのだが、同居の場所は同年の春から棲んだ北蔵王山麓の古家なので、このアパートではない。このアパートでの撮影は1994年10月に行われたのだから、アパートに住みつつ古家で同居もしていたのだろうか。『作家のインデックス』には、その辺の事情を伝える記述はない。

佐伯は『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「壁に向かって紡ぎ出す」で本書に触れており、同書に出ている作家の中では古井由吉の書斎を最も興味深く眺めたと書いている。古井の書斎は馬事公苑のそばのマンションで、1994年11月に撮影された。こちらは広い部屋である。

佐伯一麦と奈良飛鳥園

佐伯一麦『からっぽを充たす』(日本経済新聞出版社、2009年)の「その輝きをレンズで」は、東大寺二月堂のお水取りを切り口に、奈良への思いが綴られたものだ。佐伯は、テレビの企画や雑誌の原稿を書く仕事をしていた二十歳前後の頃、月に一度ほど関西に出張していたらしい。そしてその際は必ず時間を見つけて奈良を歩いたとのことである。明日香村にも足を運び、こういうところで暮らすのも悪くないと思ったそうだ。私もあの村に足を運んだ時は、住むには最高のところだなと思った。

さてこの随筆では、島村利正の小説『奈良飛鳥園』(新潮社、1980年)が紹介されている。これは、仏像などの文化財を撮影するために飛鳥園を創業した小川晴暘の生涯を描いた長編小説で、島村利正は飛鳥園に勤めたことがあったそうだ。そして佐伯は、1980年の東大寺落慶法要の際、自ら企画したテレビ番組に小川晴暘の息子の小川光三に出演してもらった縁があるとのことである。

さっそく『奈良飛鳥園』を見てみたのだが、会津八一やら志賀直哉やら、奈良にゆかりのある文人などがどんどん実名で出てきて面白い。また、小川光三が佐伯が企画した番組で取材を受けたというのはさらに興味深いことで、その番組はぜひ見てみたいものだ。